ドキュメンタリー映画
映画タイトル:だってしょうがないじゃない
2019年 119分 DCPとBlu-ray
題名:だってしょうがないじゃない
<本編にはバリアフリー字幕がついています>
坪田義史 監督作品
番外編
今年も新年を機に作品を公開します。
映画「だってしょうがないじゃない」の番外編。
坪田監督とまことさんが、
二人で釣りをしているショートフィルムです。
by Sundy.inc
予告編
発達障害を抱えながら独居生活を送る叔父の日常を
発達障害と診断された映画監督が撮り続けた三年間
精神に不調をきたした映画監督/坪田義史が 発達障害を持ちながら
一人暮らしをする親類の叔父(まことさん)がいることを知る。
坪田は衝動的にカメラを持ってまことさんに会いにいく。
坪田はまことさんとの交流を深めていく中で
「親亡き後の障害者の自立の困難さ」や
「障害者の自己決定や意思決定の尊重」
「8050問題にともなう住居課題」などの問題に直面していく。
あらすじ
まことさんと出会ってから約三年の月日があっという間に過ぎました。
こだわりが強く偏った僕の視線は、まことさんのどこまでも純粋な感性に触れ、
フレームに収まりきらないありのままの姿に惹かれました。
まことさんを撮りたい。 当時、鬱や不眠に悩み、精神科を受診して注意欠如多動性障害と診断を受け、破れかぶれの状態で撮影に及ぶ僕を、まことさんは「義史さん」と呼び、穏やかな表情で受け入れてくれました。 取材を終えた別れ際の玄関先では、
必ず「またね」と言って自ら手を差し出して握手をしてくれるまことさん。
本作「だってしょうがないじゃない」は、まことさんの協力なしでは、成立しえなかった作品です。
僕は、これからも、まことさんに会いに行きます。
監督の言葉
上映情報
※状況に応じて変更・延期・中止の場合がございます。
随時情報を更新しておりますので、当HPや各団体HPをご確認ください。
映画祭情報
2020年6月9日―14日(オンライン開催)
著名人コメント
幸福というものを求めて、前に前にと歩んできた僕らは、
もしかしたらとっくにその場所を通り過ぎていたのかもしれない。
この映画を観て、何故だかそう思った。
リリー・フランキー
見終わった瞬間、これからまことさんはどうするんだろう、どうなるんだろうと、他人事でなく心配になりました。
映画のリアルと私自身の日々の現実がシンクロしたんです。
谷川 俊太郎(詩人)
誰かを撮影したいと思い、カメラを向けることは、それがどんな相手であってもある種の愛の行為であると私は思う。 その笑顔に魅せられて「彼の見る世界を知りたくなった」と人間味に満ちた友情の物語が紡がれてゆくが、ふと物語が消え、 カメラが立ち尽くし、黙ってただ彼を見つめるしかない瞬間が何度も到来する。その時カメラが発見しているのは決して語ることのできない何かである。 カメラは語るのではなく、ただすべてを肯定するのだ。そしてその何かが知らぬ間に成長し、ドキュメンタリーとかフィクションも関係なく、 信じがたい純粋なイメージとなって立ち上がる瞬間が訪れる。まことさんはひとりである。そしてまことさんはひとりではない。そのことを私たちは知る。 それは恐ろしくも美しい映画の結晶のような瞬間だった。
諏訪敦彦(映画監督)
発達障害を持つ"おじさん"を見つめ続ける監督の目は、ゆったりと優しい。 ありのまま存在を肯定する眼差しだ。
カメラは時として人の営みを搾取し傷ける。 けれどもカメラは人に寄り添う事の出来る眼差しでもあると知らされる。 おじさんに向けられた眼差しは、そこに監督自身を投影し、自らを知る探求にも進む。 映像を見つめる私たちは、
これまで他者にどんな眼差しを向けてきたのだろう。
そしてどんな眼差しを求めてきたのだろう。
渡辺篤(現代美術家)
慎重に繰り返される自己身体やモノとの微調整が「こだわりが強い」と呼ばれてしまうこと。
その微調整の積み重ねがいっぱい詰まった、ささやかな生活習慣と環境から引きはがされる不安と痛み。
それらは ”自閉症” とされる人間に限った特徴ではなく、多かれ少なかれ誰しもが持つ感覚であることを、
「まことさん」の日常を繊細に伝えるこの作品を通して、多くの “健常者” が気づかされることだろう。
綾屋紗月
(自閉スペクトラム症者・東京大学先端科学技術研究センター特任研究員
おとえもじて(発達障害者が運営・参加する当事者研究会)代表)
発達障害とされる人たちは、ゆっくりゆっくりと自分のペースで発達する人たちだ。
慌ただしいスピード社会からはじき飛ばされて困っている。植物は引っ張っても伸びない。
サンサンと照る太陽の光と、適量な水と、根を張る大地とが必要なだけだ。
植物原理で生きる人たちも、光と水と土地を求めている。 儀式のような日々の暮らしは、
社会の歪みのバランスをとる神事のように見えた。 わたしたちはその神事に参加できているだろうか。
稲葉俊郎(東大病院 循環器内科 助教)
身の回りの事々を執り行うまことさんの一つ一つの所作の美しさ、確かさに、まことさん自身が在り、お母さんが在る。
まことさんの存在は、かつてお母さんの日々のよすがでありつづけ、そして、今は、生きづらさを抱えた監督さんの創造のよすがとなる。 世の中捨てたもんじゃないなと思う。まことさんと監督さんの「しあわせ」を、二人とともに、星に願う。
原美樹子(写真家)
観ているうちに、主人公のまことさんに対する尊敬の念が芽生えてくるとともに、 「障害って何だろう?」と改めて考えさせられる作品です。 わたしたちは「常識」なんてつまらない概念を捨てるべきときに来ていると思うのです。 作品の中で、まことさんと坪田監督が「幸せになりたい」と願う場面がありますが・・・
「じゅうぶん、幸せそうですけど!?」って叫びたいです!
栗栖良依(SLOW LABEL ディレクター)
淡々とした一見「普通」の日常でも、全員が全員、見ている世界が同じなわけではない。
広汎性発達障害のあるまことさんの、私には見えていない世界が、ほんの少し垣間見えた気がする。
本作品ではまことさんが毎日入浴しなかったり、洗濯をしなかったりすることを監督が問いただす場面があるが、 もしかするとそれは、我々が洗脳されているだけなのではないか、必用以上に「普通」にとらわれ過ぎているのではないかと考えさせられた。
姫野 桂(フリーライター)
この題材で映画として成立するのか。そう危ぶみながら観た。
杞憂だった。目を離せない。
でもラスト近く、撮る側の意図が透けて見え始めた。
作品の危うさとエゴと被写体への加害性。
同業者として正視はつらい。目をそむけたくなる。
あなたにはそれも含めて観てほしい。
森 達也(映画監督・作家)
どうしたんだよ坪田さん!もっと傲慢で吐き気するくらいの露悪的な映画にすりゃあいいじゃない!
「だってしょうがないじゃない」って何よ!言い訳がましい事やらんでよ!続編観たいよ坪田さん、、、。
映画を観終わり消化できないモヤモヤした感情とやるせなさが噴出してから、ふと思う。 坪田さんやまことさんと同じように宿題だらけの自分の家族のことや親族のこと、社会のこと。 むむ、なんだか色んなことを考えさせられちまうナ。 畜生!坪田さんよ!これがあんたのやり方かよ!畜生め!しょうがねぇからもう一度観る!
松浦祐也(俳優)